バステトのブログ

直腸がん・肝転移 闘病ブログ

父、退院。気管支肺炎。

精神からくる症状だろうな、、、
吐き気が一日中する・・・。追記


出かける前、微妙に空き時間があるから書いてます。



今日は、朝、10時に父を迎えに行かなくてはいけない。

私は、直腸がん術後の後遺症、排便障害があるし、
下剤で調整しなくては、
腸閉塞でまた緊急手術しないといけないリスクをもってます。

今日は、下剤で調整しないといけない日なんですけれど、
退院日の調整は出来ますって言ってはったのに、
急に、11月2日の朝、
主治医から「今日でも明日でも退院して良いです。」と言われて、
父は、家に電話してきたのよね。

あいにく私は、自分の病院の予約が入っていたので出かけた後。
母も病気で、迎えなど行けないから、
誰も迎えにいけない。

昨日、自分の病院から帰った後、父の病院へ行ったら、
病院の都合で、「退院日、明日に決まってます。」と言われたのよね。

下剤を飲めないまま、迎えに行くことにします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下、病院から帰宅して書いてます。

病院へ到着。 9時40分頃
今日は休日なので、正面玄関は閉まっている。
父の電話では、
「救急外来の入り口から入ってください」と言われたと聞いたので、
救急外来のインターホンを押したら、
係の人が出て来られ、
「ここは、患者さん専用です。」
「裏口から入ってください。」と言われました。

この時点では、父がちゃんと看護師さんの話を聞けてないのかな?
と思いながら裏口から入る。

5階のA病棟の受付前で、父が荷物をまとめて待ってはりました。

そこで、看護師さんから渡された、
入院費用連絡票(入院費支払い金額が書かれた紙)を持って、
今日は休日なので、救急外来で支払ってから、
領収書をまた、5階の病棟まで行って見せてから、
退院の薬etc…受け取って帰る。


父が、入り口の事があったので、
ボケているのか?と思っておりましたが、
看護師が退院の手続きの仕方を理解してはれへんようでしたわ。

入院費、全額払う予定で持って行ってましたけれど、

看護師
今日は、休日なので救急外来の受付で1万円だけ支払って、
差額は後日に支払う決まりになってます

って言ってはりましたが、
実際、救急外来の受付で確認してみると、
「ちゃんと支払明細書があるので、全額支払えます。」
と言われたので、全額支払って帰りました。

済生会○○県病院、
入退院、頻繁な病院だし、
休日に退院してくださいと言ったのも病院側だし…。

看護師のヒトよ、自信ありげに言い切ってはったけれど、
あなたの「決まりです!」は、どこからやってきたのかな?
あっさりと救急外来の受け付けで覆りましたよ。(呆)

これで、父が寝とぼけた事を言っているのではなく、
看護師が、間違った事を伝達していることがわかりました。

ちゃんとホウレンソウが出来ていない、
いい加減な管理体制の病棟だと、
そのうち医療事故が起こりそうだな…。

退院支援計画書、っていうものも貰ってましたが、
退院に向けた支援概要欄に、
退院後の療養先の検討となってましたが、
主治医に会う事もなく、
(母が入院した時は、病状など、きちっと説明がありました。)
なにも退院に向けての話、支援などなく、退院になりました。
同じ病院で、同じコロナ禍、そして肺炎
何故こんなに対応が違うのだろう?不思議だな?

コロナ禍もあれから3年だし、
高齢者は、ワクチン打って重症化のリスクは防げていそうなので、
母の時の方が対応に追われて大変だったはずなのに?

あんまり、いい加減な事ばかり言ってるから、
私の顔は、怒りに満ち溢れていたんだろう?
看護師が目を合わせる事なかったよ。(* ̄m ̄)プッ

怒っていたけれど、
とりあえず、父がお世話になったから、
「お世話になりました。有難うございました。」
丁寧にお辞儀して言いましたけれどね。

相手の態度は想像にお任せします。
そういえば、
「お大事に」とかも言われてなかったな・・・。
どうせ、クレーマー扱いしてたんだろう。
自分たちの不手際を患者達のせいにしているから態度に出てましたよ。


病院の出口で、
家から持参していたパルスオキシメーターで計測したら、
94でしたわ。

家で、何も病気の症状が出る前に測った時は、
98だったんだけれどね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
入院になるまでの話。。。

父のかかりつけ医でもある病院、
10月18日に、
「病院には行かない」といって寝てはった父を横目で見ながら、
火曜・水曜、派遣されて診ておられる医師に、
予約外で診て頂けるか?電話で確認したら、
酸素濃度、84~85ぐらいと言うと、
「今から救急外来で来て貰って診れますよ」、「来られますか?」と言われて、
父に聞くと「病院に行く」と言ったので、
行く予定で電話をしていませんでしたが、
急に病院に行くことになりました。

父は、
「一人で行ける!」と言いはりましたが、
ふらふらしている父を一人で行かせられないので、
付き添って病院に行きました。

病院へ行く道中、
意識がフッと飛んで、白目になり、倒れそうなのを私が支えて、
病院まで休み休み歩いて行ったのよね。
父が「歩いていく」と言うし、
タクシーで行こうか?と思いましたが、
公共交通機関利用は、コロナかもしれないので、利用できないし。

私、運転免許はあるけれど、
直腸がん術後の排便障害があるので、自主的に危険運転になるから、
罹患してから20年、運転はしていません。
事故を起こしたら、自分だけで済まないからね。
人身事故になれば、最悪、人殺しになるよな・・・。

入院するまでの父の状態。。。

発熱は、入院する4日ぐらい前から、38度9分ぐらいが続くが、
市販の風邪薬を飲んだりしてはったので、
少し下がったりして、
普通に食欲がありいろいろ食べてはりました。

入院前日の夕食は、にぎり寿司6貫
おやつは、大判焼き1個
入院になった日の朝食は、
レーズンのロールパンを2個食べて、コーヒー牛乳を飲んで、
外に出て、庭をウロウロして(約2時間)
その後、家の中に入ってきて、
「しんどいから寝るわ」と言って、ベッドに横になってはりました。

こんな状態。。。
「病院に行かない」と言いはっていた父ですが、
このままほっておいて治りそうにもないので、
診てもらえるかどうかの確認の為に、
とりあえず電話したのよね。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

今回、病院の入院病棟の対応の悪さで、
昨日は、睡眠薬を増やして飲んでもまったく効かず、
一睡もできませんでした。

朝8時頃、
「何時ごろ来てくれるんや」と父から電話があったのですが、
昨日の電話で、病院側から10時の指定があったから、
「10時に行く」って言ったのに、
昨日の夕方電話かけてきて言った事、覚えてはらへんかった…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
退院後の生活。。。

在宅酸素にならなかったので良かったわ。
父の性格だと、ちゃんとホースを使いこなせないと思われるから。

母は在宅酸素になったから、
酸素のホースを付けてずっと過ごさないといけないので、
大変だったのよね。

私は、病人歴は長いけれど、
酸素療法は???
母の時は、退院前に外来受診があり、
「今、酸素何リットルや?」と、
お初にお目にかかります、な、
呼吸器内科の医師に聞かれて、
??????状態だったからなぁ。
あの時は、酸素がどうの?こうのって?
まったく未知の世界だったからね。

父は、退院してきてご機嫌♪です。
17日間の入院で、
シャワーも出来ず帰ってきはったので、
「気持ち悪いやろ?お風呂入ったら?」と、
お風呂を沸かすと、
頭も洗って、お風呂につかって、
「さっぱりした~♪気持ちよかった~♪」と喜んでました。
夕飯は、
冷食の牛すき焼き丼とお味噌汁。←急な退院だから何も用意していない・・・。
お漬物は、
家庭菜園の冬野菜、間引いた壬生菜の塩もみ
「病院のご飯はかなんかった。」
「家のご飯は美味しい。」とご機嫌。

帰って来てホッとしたのでしょうね。(^ω^)♪
今は、いびきをかいて、寝てはります。
普通の時の、「ガーガー」な、いびきに戻ってはります。

入院時には、
延命治療するか?しないか?聞かれましたが、
今回は、無事、帰宅することができました。
医療従事者の方々、
有り難うございました。(一部の残念なヒトを除く)

済生会病院は、普通の総合病院と違うんだよ。

済生会は、
明治天皇が生活困窮者を救済するために
明治44年に創設された病院。
秋篠宮皇嗣殿下は、
平成25年4月1日付で社会福祉法人恩賜財団済生会の第6代総裁に就任されています。